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2015年2月10日火曜日

#967 味のある血


それが生きているということ。



今日は、久しぶりに電車乗ってお出かけ。
と言っても半分くらいは本を読んで過ごしたけど。

山田詠美の”ぼくは勉強ができない”を頭から最後まで読み切った。
(参考http://matome.naver.jp/odai/2134745629314658501

タイトルその他はこの本より。


以下ブクログに書いたレビュー。
一回読んだことあるの前提の語り口だから、読み飛ばしてもらって結構。

すべてを見抜いた、だけど無知な少年秀美の話。

冒頭の方で、「いい顔をした人」と秀美が言う。
どんな立派な哲学者でも、いい顔をしていない人は信用できないのだと。
この物語において、異性と性関係をむすぶことはひとつのテーマである。
そしていい顔をした人は、人を惹きつける魅力がある人なのだろう。
しかし、いい顔とは必ずしも生来的なものではないように感じた。

自然体でいること、はたまた自分を飾り付けること、そういった人の生き方もまたテーマとして提示される。
自然体を自ら作り出す少女は多くの男子の心を掴んでいる。
しかし、秀美はその人工的自然体を嫌う。それはいい顔ではないからだ。

一方で、秀美はもちろん、時には窮屈な生き方しか出来なくなってしまった彼の担任の、心の拠り所となる秀美の母親は自らを飾り付ける人間だ。
担任は初め、彼女の身なりから言動全てに嫌悪感と苛立ちしか抱かない。(香水の匂いを苔の匂いと評するほどに。)
しかし、脳裏に焼き付いた彼女に、ある時心をほどく。
この時が思い起こすのは、彼女の息遣いであった。

すべてを見抜く少年だからこそ、二人の女性の生き方に好悪を抱ける。
重要なのは外見としての生き方ではなく、その内面が語る生き様なのだ。

いい顔、は後天的に得るもの、
そしてにじみ出るもの。

対面した時に、心を開く気になれるような顔。
それをこれからの生き様で身につけたいと思った。


読み終わってから帰りの電車で勢いで書いたけど、
読み返してみると結論への展開が雑すぎる。

文章書ける人ってすげえなあってつくづく思う。

ぼくは勉強ができない、ってタイトルは
人の内面なんて勉強でははかれないことのメッセージ。かな。

秀美に言わせれば、
勉強よりもセックスのほうがずっと意味があるらしい。




話は変わって。

電車で、すっげーテンション高いメール打ってる女の人が
ものっそい真顔で怖かった。

そりゃ電車内でテンション上げてても困るけれども。

香川にいる間に、メールとかテレビを声に出して笑うようになってしまった
電車でうかつにラインできん。

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